もう立春も過ぎ、あっという間に春になりそうな感じですが
ようやく今年二度目の投稿
今回は、ある本を読んで、
「紙であることの意味」
をすごく考えさせられたので、その話を。
読んだのは、
冬目景さんの「空電ノイズの姫君」3巻
この作品が3巻で完結するのは事前に知ってましたが、
読んでいて色々違和感が。

まず、巻頭に、
連載時のカラー扉絵が11ページも続きます。
最終巻なので読者へのサービスかな?と。
そして、本編も含めて紙がコミックで使うものでない。
分厚いし、白の純度が高い。
スケッチブックのような紙。
2巻までは普通に使われてる紙だったんだけど。
そしてそして、物語がすっごい中途半端に終わってる、、、
もう放棄したとしか思えないくらい中途半端。
いや流石にこれは
と、最後のページをめくって、
そこにある”あとがき”を読んで全て納得。
連載されていた雑誌「月刊バーズ」が休刊となり、
幻冬舎の漫画雑誌が電子版のみとなってしまったため、
紙媒体にこだわった作者の冬目景さんが
紙で刊行されている講談社の「イブニング」に
連載を移すことになった、と。
以下想像ですが、
「月刊バーズ」の休刊までに連載された分だけでは、
コミック一冊のページ数を満たせず、
カラーページを加え、紙自体を厚手にすることで
何とか一冊にまとめ上げた。
ので、普通と違う本となった。
そこには、幻冬舎の編集の方の矜持が込められているように感じます。
私は一時期利便性で全て電子書籍に切り替えようとしましたが、
結局紙から離れる事はできなかった。
電子書籍で購入した本も、後から紙で買い直しました。
この本を読んで、
紙に触れながら、ページをめくる事自体も、
自分自身大切なことだったんだと実感。
目だけでは無く指先でも”読んで”いたんだ、と。
利便性では電子書籍が圧倒的に優れているけど、
でも紙であることの意味を改めて感じた一冊でした。
来週末はコミティア127。
紙の上に情熱を込めた多くの人達が集う場。
そしてその紙を通して作り手と読み手がつながる場。
ここでも「紙であることの意味」が
いっぱい溢れてるのだと。
あ、「空電ノイズの姫君」3巻ですが、
別の雑誌で読み始めた人にも話がつながるよう
締めくくりを仕上げてあって、
さすがの冬目景さんでした